いにしえの荒川と入間川に挟まれる足立郡

古い荒川と入間川に挟まれる地域が足立郡でした。大きな中州。

okia – JpLargeMap_KantoTokai.png を元に投稿者が作成 https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=99139916による

唐辛子みたいな形をしている足立郡。

「足立」の地名由来

足立区のアダチの語源を調べると、古代の武蔵国足立郡に由来する由緒ある名前とわかりました。大化改新からある名前で「みなとみらい」「ゲートウェイ」とは歴史が違う。「阿太知」の音に「足立」を充てたそうです。「好字二字化令」(713年)のときに良い意味を添えられます。アダチの音にそもそもどんな意味があったのだろう。

国立国会図書館デジタルコレクション 大日本読史地図より引用「上代の東國」

埼玉郡の西部に縦長に足立郡、細長いです。。。縁取るのは東側に荒川(現在の元荒川)、西側に入間川(現在の荒川)です。

埼玉郡、足立郡のあたりを拡大。ヌマヌマしています。水っぽい。

上記唐辛子型の足立郡の場所は下図中央の笠原の含まれるあたりから南東部。大河川がいくつも走っている。縄文海進から水が引いて、ベチャベチャだったのでは。とても人が住めるようには見えません。足立郡の中央に見えるのは現在の埼玉県の見沼です。

東京の自然史 貝塚爽平著 p220より引用。貝塚の分布から推定される石器時代の海岸線。(東木竜七、1926)

石器時代に遡ると大宮台地以北を除いて海底であったと推定されます。その場所を歴史的には奥東京湾と言います。同時期の土浦あたりを香取海と言ったように。

昔の利根川と荒川とが合流する下流域は水害の常習地でした。利根川と荒川が合流するってことだけで流量が半端ないと容易に想像がつきます。縄文海進の頃の足立郡は大宮台地を除きほぼ海で、当時の海岸は貝塚の分布によって推定されます。

江戸時代初期の流況  国土交通省、中川・綾瀬川の歴史 より引用

図は昔の利根川と荒川の流路。国土交通省HPより引用。

国土交通省、中川・綾瀬川の歴史 より引用  斜線部(武蔵国足立郡)は私が記入。

上代の足立郡に相当する部分を筆者がオレンジ斜線で塗りました。川という自然障壁で分界され、足立郡は荒川旧河道の右岸、及び綾瀬川流域、そして入間川に至るまで。北から鴻巣、大宮、浦和、川口、越谷、八潮、その南に東京都足立区が現在の地名として同域に内包されます。埼玉の見沼も含まれ、排水の悪い湿地として長く続きました。

利根川の東遷、荒川の西遷後の流況

図は「利根川東遷、荒川西遷後の流況」です。旧荒川の傍流として流れるのが綾瀬川。旧荒川と旧利根川が合流したところを現在中川といいます。3つの大河川が著しく蛇行しており、氾濫原であることは容易に想像できます。

足立という名称が現存するのは東京の足立区だけですが、かつては埼玉東京にわたる広域(地理的には河川流域)が足立郡と呼ばれていました。後に北足立郡、南足立郡など変遷し、足立区だけが残ります。

少し私見をお許しください。好字二字化令により、良い意味の「足立」の漢字が当てられる前、「阿太知」の音が先にあった、アダチに込められた意味は何だったか。「あだなり」「あだし」という「無駄になる、むなしい、実(じつ)がない、変わりやすい」の意の古語がありますがそっちじゃないだろうか。頻繁に洪水に会うため灰燼に帰すという意味合いが「あだち」という音に込められてはいなかったか。古語でネガティブに使われるアダという音であろうに好字令で「足立」を当てた瞬間に別物になったように思えます。

「あだし野の露消ゆる時なく」徒然草に述べられたあだし野は京都嵯峨野の奥にあります。化野は仇野、徒野とも書き、かつては風葬の地、近世は鳥辺山とともに火葬場として知られた場所、化野(あだしの)の名は「無常の野」を意味します。「あだし」は他に異し、空し、徒し、化しと綴る。移ろいやすい無常の世界のことです。あだなす(仇なす)は敵対する、害を与えたりすることで、軍艦マーチの歌詞にも出てきます。徒花も季節外れに咲く不実の花。

図は国土交通省HP これがすべてを語っています。ピンクの低地にあった元の利根川と元の荒川、その厄介な二大河川を西の台地と東の台地に付け替え、ピンク色のところを排水して農地を増やし「江戸の米倉」を作りました。徳川の殿様は偉いです。ピンク色のところは、陸化が遅れた場所でもあり、沖積層の下にかつて谷があった場所(埋没谷がある場所)。沖積層が厚くなっている場所の上は陸化が遅れる傾向があるそうです(東京の自然史)。利根川の東遷、荒川の西遷後の流況は上のようになります。元の大河は灌漑用水路に役目を変え、第二の人生を送ります。ふたつの東西の大河のあった土地は水はけがよくなり、農地が拡がりました。太日川は現在の江戸川に名前を変えます。

ピンク色の下町低地、ここがまさに足立郡であり足立区、ほとんど海抜4m以下。上代より江戸まで、利根川(現在の古利根川)と荒川(現在の元荒川)の二大河川が洪水を頻繁に起こしていた場所です。足立郡は江戸の治水、その後の明治期の荒川改修や江戸川の整備などを経て生産・居住の場所に変化します。明治11年、足立郡は埼玉県に属する地域(北足立郡)と東京府に属する地域(南足立郡)とに分かれました。南足立郡は千住、西新井、舎人、綾瀬などをふくみ、現在の東京都足立区になります。

1.千住町 2.西新井村 3.江北村 4.舎人村 5.渕江村 6.梅島村 7.綾瀬村 8.東渕江村 9.花畑村(紫:足立区)

長々とごめんなさい。筆者の偏った趣味にお付き合いいただきありがとうございます。

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<参考図書>

東京の自然史 著:貝塚爽平

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