島原素麺、波佐見焼

私が子供の頃福岡に居た時、有田焼と伊万里焼は聞き覚えていたが波佐見焼はそれほど耳に残っていない。揖保乃糸は知っていたが島原素麺は知らなかった。これら2つは産地偽装という濡れ衣によって一時落ち込んだものの、活気を取り戻した長崎の地域名ブランドです。


有田焼の高級品を佐賀県有田で焼き、庶民的な有田焼を隣町の長崎県波佐見で作っていたが、これを2004年頃産地偽装と咎められ、波佐見で作った陶器を有田焼と名乗れなくなり、波佐見焼と呼ぶようになった。私の好きな白山陶器も波佐見焼の一つ。

数百年前、有田焼を伊万里港から積み出して輸出していたので有田焼は伊万里焼や伊万里とも呼ばれた(伊万里で焼いているわけではない、伊万里は単なる港町)。ヨーロッパから見れば伊万里港から来た陶器、それで有田焼は伊万里。ドイツのザクセン選帝侯アウグスト強王は東洋磁器を気に入り、伊万里みたいな白い陶器を作れと命じそれでマイセン窯ができた。


続いて島原素麺。島原素麺というラベルを関東のスーパーで目にするようになった。素麺発祥地奈良の桜井三輪は生産量が少ないため高品質の島原素麺を買い付けて「三輪素麺」と称し売っていたが産地偽装だと言われてしまう。品質の良い島原素麺は「島原素麺」と堂々冠して売られるようになった。コシがあってひょっとしたら揖保乃糸より美味い。さて、地元では伝統の味ということになっているが、島原の乱(天草島原一揆)で南島原の人が根絶やしされ、人がそっくり入れ替わっているのに南島原で作られる島原素麺の製法や伝統が継承されえたのか疑問、と、北部島原出身の友人F君は南島原の郷土史家に詰め寄った事がある。今の島原素麺がどこから来たのかは諸説ある。人が居なくなった南島原に、他所から来た人々が持ち込んだ食文化ではないか。島原の乱前にたしかに製麺されていたが、油脂を使って麺を伸ばすのはそもそも中華料理っぽい、小麦といえば佐賀とか福岡が産地、五島の製麺技術は椿油で伸ばすが、あのやり方も大陸に近いような気がする、国際貿易が盛んであった南島原の口之津港から入ってきた大陸の製麺技術かもしれない、だが、島原の乱で一回終わっているはずだ、と言うようなことを酒を飲みながら北島原出身のF君と話した。


以上、波佐見焼と島原素麺、いずれも「産地偽装」と汚名を着せられながら本来の産地名のブランド力を高め活気を取り戻し全国区になった製品です。そもそも品質が良いからこそ有田焼、三輪素麺と称し得たのであって、品質の高さを物語るもの。偽装というレッテルは適当ではなかったと考えます。偽装という言葉の定義として品質の低いものを使って暴利を貪るためにやることです。国産牛肉買い取り補助金を目当てに輸入牛肉を国産と偽装したり、廃棄肉をミンチ製造に混ぜたりすることを偽装というのです。あんなんと一緒に報道するマ◯ゴミがおかしい。汚名を着せられた「波佐見焼」も「島原素麺」も品質がそもそも高く、偽装という言葉は不当。いつの時代もマ◯ゴミはおつむが、、、という気がします。

どっちも長崎の産物というのが共通点で、今から白山陶器(波佐見焼)で島原素麺を食べます。いつもお読みいただきありがとうございます。

普賢岳と平成新山です。

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