島原半島の形成

旅先でもらったパンフレットや、展示を見てちょっと整理しました。島原半島が生まれて現在に至るまで。

まず、南部早崎でケイ素成分の少ないサラサラ溶岩が噴出(ハワイやアイスランドと同じ流れる洪水みたいな溶岩の質)。約430万年前の海底火山噴火によって小さな島ができました。

島原半島ジオパークパンフレットより引用。

雲仙お山の情報館 展示より

早崎の場所。ここから誕生したんですね。

早崎半島の火山活動が落ち着いたあと、玄武岩とは成分の異なる安山岩主体の噴火が国崎半島、向小屋などで始まった。ケイ素が少し多めの白い岩石になります。

50万年前に火山活動は北へ移り、それが最古の雲仙火山。原城近くの龍石海岸では雲仙火山最初期の噴出物の地層を観察できます。

40万年前頃、雲仙火山の噴火により、島原は本土と繋がり島原半島が誕生します。

30万年前からは、半島の中心部を平行に走る東西の断層(千々石断層・深江布津断層)の間が正断層で沈み、雲仙地溝(谷のような部分)を形成。このときに雲仙火山の最初の火山体は地中(海中)にズブブブと沈みました。沈んだ火山に海水が来て水蒸気爆発を繰り返します。

正断層、反対方向に引っ張られるときに、片方がずり落ちる。

千々石断層側から撮影。オレンジ矢印が千々石断層にあたります。平地部分以遠が雲仙地溝で雲仙の山々がその中に隆起し、雲仙地溝は南部の深江布津断層まで続きます。下はグーグルマップ、千々石断層です、手前海岸から奥に伸びる崖が千々石断層。千々石ミゲルの生誕地が近くにあります。

続いて、雲仙地溝の南限、深江布津断層。手前が雲仙地溝。

手前が深江(雲仙地溝側 赤い印)、段丘側が布津。

雲仙地溝に15万年前から7万年前まで野岳が火山活動し、二度野岳火山は崩壊しました。その結果野岳カルデラを形成します(下図紫の点線)。野岳活動中の9万年前に阿蘇山が噴火、その火砕流は有明海を超えて島原半島に到達しています。

続いて野岳カルデラの中に、妙見火山が活動し、約二万年前に東側が崩壊し、馬の蹄のようなU字形の崩壊地形を作りました(下図点線オレンジ色)、それが妙見カルデラで下図のように東がない。

そのU字の中にできた溶岩ドームが普賢岳や平成新山。

島原といえば雲仙で、雲仙の火砕流のもとはデイサイト。だから島原はデイサイトの島だと勘違いしておりました。島原半島全体デイサイトだと勘違いしていましたが、南部の一部は玄武岩だし、九州本土由来のチャートも。阿蘇山火砕流由来の凝灰岩も東岸にあります。

9万年前の阿蘇山の噴火でできた阿蘇溶結凝灰岩のうち、宇土の馬門で産するものはピンク色で馬門石(まかど石)と呼ばれ、高槻市の継体天皇陵で出てきたそうです。島原の乱の最終決戦場である原城は高台になっていますが、ここには阿蘇山の噴火の際に有明海を超えて達した火砕流が地層を成しています。

原城の海岸。元々は9万年前の阿蘇山の火砕流だったのかー。

火砕流のもと、デイサイトです。ネバネバケイ素多め。

とても興味深い場所でした、島原半島。ジオパーク目当てにもう一度行きたくなりましたヨ。

<参考>

島原半島ジオパーク

雲仙お山の情報館

南島原ひまわり観光協会ジオパーク

島原市 ジオパーク

https://www.city.shimabara.lg.jp/common/UploadFileOutput.ashx?c_id=3&id=2657&sub_id=1&flid=7771

コメント