媽祖信仰。。媽祖様も巫女じゃった。

台湾の人々はまことに信心深い。台北松山空港の由来でもあるここ松山宮の信仰対象は”媽祖様”で、航海の安全を守ってくれる女性の神様、また漁業の神様で、海神であり女神。台湾の人々が福建の泉州からむかし渡って来たときに既にもっていた信仰で「無事台湾に渡れました」と建てられたのが媽祖廟。媽祖様を別の呼び方で天上聖母や天后といったり、親しみをこめて阿媽といったり媽祖婆(媽祖ばあちゃん)といったり。媽祖廟は横浜にもあり、泉州人の海渡る先に必ずあるようです。ちょうど日本の船乗りの神様こんぴらさんが北前船寄港地のほうぼうにあるように。

台湾では中国本土と違って文化大革命による廟破壊や信者迫害もなく媽祖信仰が守られています。陽気でおしゃべりな台湾の人々が意外にも瞑目して静かに手を合わせている様子、コレも台湾人の一面であるなあ、と感心しつつ邪魔しないように見学しました。

以前にも松山宮に来たことがあり、初めて来たときには台湾人のコウちゃんに案内していただきお参りの仕方などを習いました。子供を授かるようにお願いしたりとか健康のこととか人生の局面ごとにお願いしてきたと仰っていました。媽祖様は航海安全の地方信仰から始まり、医薬その他何でも効く神様らしいです。復縁を願掛けに来る人もいたりすると。ワンストップでなんでもお願い出来そうな雰囲気。

ご神仏の像を写真にとるのはためらわれたので建物だけを撮った次第。建物は五-六階(?)建てで媽祖様だけでなく、仏教や媽祖信仰が含まれる道教のその他の神々も階層ごとに祭られています。我が国の神社に例えると摂社末社を一箇所に集めている感じ。階があがると別の神様がいて、どの階もキンキラで、まるで百貨店みたいでした。神仏儒習合という言葉があるのかどうか知らないけど、来ればなんでも揃います、松山宮。でもメインの神様は媽祖様。成立の順序の最初は媽祖宮です。

信心深い一面のある台湾の人々を松山媽祖宮でみて、興味を持ちました。

媽祖信仰について調べると媽祖という神は道教に分類され、民間信仰の1つです。高校の倫理学で教わったような儒教(道徳教育)ではありません。媽祖信仰は現世利益を追求し不老長寿をのぞみ祈ります。媽祖宮は夜市に付随しており、いや、成立過程から言えば媽祖宮に夜市が付随するのですが、夜市ついでに気楽に入ってびっくり、明らかに濃厚な宗教施設です。媽祖祭は身体を投げ出したり地面にひれ伏したり神輿を揺らしたりする激しい宗教行事で、媽祖生誕の3月23日、台湾全土で巡礼が行われます。媽祖の神輿の後ろについて巡礼をして媽祖様の庇護をいただけるよう祈願するもの(下の動画)。上のレリーフ壁画、右上赤い人の上に「媽祖出巡」と読め、真ん中に神輿に乗った女性が見えます。荒波の上を飛んでいるように見えます。周りに恭しく手を合わせている人々が配置されています。「媽祖出巡」をキーワードに検索すると、台湾の盛大な媽祖祭や、横浜中華街の媽祖祭の情報が出てきました。横浜のと台湾のと、媽祖祭の骨格は同じです。上のレリーフ図はおそらく3月の巡礼の様子でしょう。

シャーマンと言うと日本で思い浮かべるのは卑弥呼、ヒミコさんは巫女で、佐賀には徐福伝説があり、徐福は道教の道士。。。。そこでちょっと大胆に考えると、巫女というものが海を介して広がりをもっていた信仰様式の一部ではないか、という気がしています。巫女というのは東アジアあちこちにいるようです。台湾の媽祖様は航海の安全を願って立てられた海辺の村の巫女さんですし。遭難を救ったり、病気を治したり、特殊な能力をもつ実在の媽祖という女性が居てそれが信仰対象になった、ということだそうです。

台湾のお宮、お寺が、様々な神仏を受け入れてワンストップでお祈りできる場所になっていることから随分寛容な仕組みだと感じました。多様にしてガラガラポンにして政治的に生き残ってきたと直感的に私は邪推しましたが。成立経緯の中心は儒教でも仏教でもなく、最初が媽祖宮つまり道教で、台湾移住民の航海安全を祈るお宮が端緒で、そこに他の仏や儒教の神を容れたという順番。そのへんは習合した日本の神社と似ているかな。

お神輿の下を潜るというのが興味深いです。お神輿が家の前で行ったり来たり三回。お神輿を揺らし、媽祖様が考えて「この家いきましょ」という形式。8日間かけて神輿と行列が巡礼する大きな宗教行事。お神輿が家に入るかどうかは、神輿に乗った媽祖様が決めるのですが(実際は担ぎ手だろうけれど)、お家の間口が狭くて入れないシーンも動画中にありリアルでプッと吹いてしまいました。横浜中華街の媽祖祭も、御神輿の揺らしかたとか往復の仕方が良く似ています。台湾の方が激しい感じがしました。あんなに御輿を揺らして、媽祖様はトラベルミンかなんか飲んで、車酔い対策しているのだろうか。船乗りの神様というくらいだから船酔いには強いのだ、きっと。台湾人を理解する上で、馬祖信仰の要素は大きいような気がします。

例えば台北の街中で”阿媽”の名前のつくお店を時々見かけます。媽祖様を親しみを込めた呼び方のようです。”阿媽”は、おばあちゃんとか女中さんを呼ぶ時の呼称でもあるらしい。持ち上げニュアンスかな。

阿媽粄條店 

阿媽蜜餞食品 111台北市士林區大東路10號 

台湾は夜市が観光スポットですが、夜市成立の中心にお宮があり、お宮が先で門前町が夜市であると気づきました。旧正月前に訪れ、お宮の前で御供物を売っているのを見て、朝市夜市とお宮は一体であろうと確信しました。松山媽祖宮と饒河街夜市の組が一例ですが、その他の門前町と思われる夜市も見てみます。

饒河街夜市・・・松山慈祐宮、松山媽祖廟(媽祖中心にいろいろ)

士林夜市・・・士林慈諴宮、士林媽祖廟

華西街夜市・西昌街夜市・艋舺夜市・・・龍山寺(祭神は本殿は仏様、後殿は道教の神様)

迪化街・・・霞海城隍廟(月下老人)縁結び

延三夜市・・・大稻埕慈聖宮(媽祖廟)

祀られている神様は一箇所に多数、例えば龍山寺だけで仏教と道教の様々な神々も祀られています。もうよくわかりませんw「文昌帝君、大魁星君、紫陽夫子、馬爺、天上聖母、太陽星君、太陰星君、註生娘娘、池頭夫人、十二婆者、水仙尊王、城隍爺、龍爺、福德正神、關聖帝君、三官大帝、華陀仙師、地藏王菩薩、月老神君」

コンビニ的、ワンストップで色々拝める。くどいようですが、あくまで媽祖信仰が中心にあります。

そもそも媽祖とはなんじゃろう?、を、そろそろまとめてみます。

媽祖とは十世紀頃(宋の時代)福建省莆田市にいた実在の人物で巫女(ということは道教のカテゴリー)です。海で遭難した人を巫術で助けたり霊験あらたかであったため、死後信仰対象になったと。最初は地方の郷土神だったのが、その地方が海に面した港町で、船乗りや商人に媽祖信仰が広まりました。

巫女という職業(?)があっちにもあるのを知らんかった。遭難しそうなときに赤い服をきた媽祖が現れて助けるのを見た、とか。ちょっとオカルト的な。。巫女さんというのは日本のものと思っていましたが、あっちにもあるのだね。

海上勢力を利用したい大陸シナの朝廷が後援、例えば宋・元・明・清の歴代皇帝から媽祖に対して尊称を与えます。宋朝の徽宗は「順済夫人」、宋朝の光宗は「霊恵妃」、元朝の世祖は「天妃」、清朝の康熙帝は「天后」、さらに清朝の道光帝は「天上聖母」と称号を送りました。人気取りのようです。聖母ってキリスト教かと思ったら違いました。皇帝が気配りせねばならぬほど大きな信仰勢力なのですね。

薩摩には貿易の関係で唐人船乗りによって媽祖信仰が伝播、長崎にも長崎興福寺、崇福寺などの寺が残されています。江戸は異教を禁じていたから、長崎ではボサ(菩薩)と呼んでカモフラージュしたようです。水戸に渡ってきた仏僧が航海安全のために持っていた媽祖像を水戸光圀公が複製、水戸藩でも媽祖信仰が確立、しかしのちに徳川斉昭公が異朝の神であるとして弟橘媛に改めています。日本で船を作ると船霊様船玉様をまつりますが、媽祖信仰が日本の船玉に習合した地域もあるようです。

要点、媽祖信仰は民間信仰の一種であって儒教ではない。航海安全の神様。媽祖さんは巫女。台湾の信仰の中心。

以上長々すみません。台湾好きが嵩じて宗教にまで興味を持ち始めました、、、はよ台湾に行って現地の友人にあいたいなあ。。。

<参考>

日本における媽祖信仰の受容と船霊信仰に関する歴史人類学的研究 緒方 宏海(香川大学経済学部准教授)

コメント